いづみゃんブログ

【ブログ】演技についての話と、私の展望

2019/07/13 14:48



こんにちは。


なんか演技の話ってしたことがないなと思ってしてみます。

私が子役をやってたとき、週一で東京に通って演技レッスンを受けていたんだけど(ももクロの前身の発足がこの頃)


そこの演技レッスンの隣に立てたホッタテの防音室で、柴咲コウさんがボーカルトレーニング受けてたの。

音漏れ凄くて、その時に、え?歌ってすごくない!?!?って思って歌に興味を持ったのがその時。


でね、大学で上京してきて、私の行った大学が演劇学専攻なんだけど、そこに入って色々ワークショップとかにも参加してみたりしてね。


大学の卒論は、メソッドアクティングについて書きました。


メソッドアクティングっていうのは演技法の一種で、日本ではあんまり演技論というものが流行ってなくて講師が独自に教えている場合が多いんだけど、

これはハリウッドとかでも教えているような演技法の1つ。


演技をやったことがある人なら分かるかもしれないんだけど、役者のパターンは2種類ある。


1つは、その役になりきって演じる方法。

2つ目は、理論的に動きの全てを頭で考えてそのように見せる方法。


1つ目がメソッドアクティングで、2つ目がステラアドラーとかが提唱した演技論、(古典演劇とかはパターン化していたりするからこっち派)と、超簡単に言うと多分そうなる。

本とか読んでいくと複合していたりして、要はどっちに重きを置くか、みたいな話なんだけど


メソッドアクターといえば、マーロンブランド、アルパチーノとか、ロバートデニーロとか。マリリンモンローとかも影響を受けている


もともとロシアのリーストラスバーグから来ていて、古典演劇とは対極のもの、、、って言う話は終わらなくなるからひとまずやめーて、


メソッドアクティングの主な特色は、その役についてのリサーチを本当にたくさんする。本番で感覚でなりきるために、その役が今までどんな人生を歩んできたか。どんなこだわりがあるのか、どんな風に人と接するのか、歩き方は?呼吸のくせは?好きな食べ物とか家族構成とかとことん監督を追い回す(らしい)


演じるシーンの前までなにをしていたか。これからなにがしたいのか。なにをするのか。

そこを重視する。


これを突き詰めていくと、問題が生まれてくるらしい。


ワークショップでアメリカで演技していた本人から聞いた話なんだけど、連続殺人犯の役づくりに徹していたんだけど、役が終わってもなかなか抜けなくて、憑依しちゃって

警察に絶対なんかしてるやべーやつ!って何にもしてないのに職質何回も受けたりしたらしい。


そういう人に演技を教わると、ぶっちゃけすんごいめんどい。よーいはいってはじまって、歩いて入ってきて(その時は私は若手警官の役だったんだけど)、歩いた瞬間に、警官はそんな歩き方しない。って止められるの。

犯人を追い詰める、あと少しで捕まえられるような動きをしていない。と言われて。


なんかその時に、私の目が開いた感覚がした。

(うわこれ沼じゃん)てもおもったけど

ああこの役は本当に私とは違う人なんだ。って


それが凄く楽しくて、演技にとりつかれた。


余談なんだけど、表現をしていると、観客とかみている人、演技で言えば監督とかスタッフとかと、時が止まったみたいにピンと張りつめた瞬間になることがあるの。それがもう麻薬なの。その瞬間を出すためだけに日々を生きているような感じ。視点も、相手を見ているはずなのに、空から第三者が私を見ているような感じがして、見ている人がいまどんな気持ちになっているかも分かる。

話している相手の息遣いとか、考えていることとかが手に取るようにわかるから、それに身を任せるだけ。

終わったらめっちゃ疲れてめっちゃ帰りたくなる。


歌でも最近、1年前くらいにはじめてその感覚があった。外のライブだったんだけど物販がはじめてのひとにめっちゃ売れたりした。そこにとりつかれている。



わざわざライブに出向く意味、というものを考えたとこがあるだろうか。

曲を聞くためならばCDでいいじゃん?じゃあなんでライブに行くの?


ライブに来るということは、その感覚をほかの見ている人に共有するということ。

だから人が多いライブとかだと、推しのステージが始まったら前をファンで固めて、終わったら移動して、、、とかはよくあることなんだけど。

有難いことで私もMCとかでほんと安心するんだけど、

私はみている人みんなを巻き込む一体感をつくりたい。


ライブに来て表現を楽しむってことは、感覚の共有、劇場の一体感を楽しむってことだと思うの。だから配信ともまた違う。


だから私は今のライブシーン、特にシンガーソングライターだけのイベントでは、そこまで行けていないと思っている。

その子のことが好きだから。物販で握手がしたいから。おはなししたいから。

そんなもののために芸術はあってはならないと思うし、それでは人は救えないし音楽が死んでしまうのだと思う分かってるよ。だからバンドマンのボーカルがモテる理論と同じだよね知らないけど。来て話せるなら話したい、それは賛同する。わたしもサムスミスが物販にいたらめっちゃたくさんはなしたいもん。でもそれが先に来てしまってはいけないと思う。過剰な物販が多すぎるのも問題視しているんだ。



そういうシンガーを否定しているわけではない。生活もかかってるし、集客の数が全てだ。わたしも割り切れたらいいのにと思う。多分全てが良い方に変わるとさえ思う。でもそんな色恋営業みたいなことじゃ、生の音楽をちゃんと感じてもらえないし、物販でキャバ嬢のような扱いを受けるだけ。わたしはもうそんなのはいやだ。CD買ってない、曲聞いたことない、ライブも行きません。でも僕を愛してください。ツーショット撮ってからだに触っていいですか?サイン集めてるのでもらっていいですか?いづみって誰だか知らないけれど。私は本気なのでそんなに寛容ではないです。それがもしも私の音楽に触れるきっかけになるならば..とも思っていましたが現実は厳しいね。だからせめてサインコレクターの人はCDを買ってください。売れているわけでもないので生活がかかっているんです、ファンサービス酷いなーとか言いたい気持ちはわかりますがそもそも売れてないので。訳の分からないコレクションの一部にされてのちに捨てられる悲しい未来しか見えなくなってしまうんです。



貪欲に音楽での一体感と、その沸き立つような感覚を共有するために、私は存在したい。

そのためにだったら楽器なんて無くていい。

最前でスマホみたり私語をしたり。そんなひとたちをも一体化させるようなライブが出来ないのは私の責任だ。と思っている。

だから、写真をNGにしたというのもある。写真を撮りにだけ来る人というのも存在していることは知っているし、否定をするつもりはないが、私のライブでは否定をさせてもらう。

私の求めている一体感にそぐわないから。そもそもの人生に求めているものが、動機が、違うんだ。私は自分で演奏して歌って、曲もかいてる。そんな人は愛も知らないような薄い歌を聴いて上から評価を下せばいいさ。自尊心を保つために。

その人は音楽を感じに来ていない。

うわーこんなこと言ったら私売れなさそー。


突き詰めると、演技と歌が近いものなんだな、という話でした。

沸き立つような感覚があって、その動機で写真撮りたくなる気持ちは正直わからなくはないよ。それだったら全然okだとおもうし否定はしたくない。でも線引きは難しいから。


まあ写真に関してはシャッター音とかライトとかそのほかの問題もあるからNGということにしている(わかりやすいしそれもあるから)


とにかく。この感覚の共有のために生きています。し、売れたくて仕方ないです。そのためにならなんでもする所存なのですが、根幹は崩れたら音楽は続けられないな。わかってもらえるのかな、この悔しいかんじ。悔しいよ、私が売れて証明して。ちゃんと音楽を聴いている人もいるんだって。


という話でした。

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